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自分の人生を振り返ってみて感じたことや考えたことをアウトプットしてみました。

始まりのスタート。掃除をしないと運気は下がるのか?

始まりのスタート。

 

掃除をしないと運気は下がるのか?

 

掃除をしなくてもちゃんと仕事をして、生活出来ている人もいる。

 

掃除をしなくてもちゃんと生きて行ける。

 

このように考えたことがありませんか?

 

はい、ちゃんと生きて行くことはできます。

 

逆に掃除したから良い方向に生きて行けることができるのかもよくわかりません。

 

なぜにこのようなことを言うのか

 

ざっくりなのですが、人それぞれの持つ魂は唯一無二であり、個人の持つ相対、関係性は複雑であると考えているからです。

 

私の個人的な勝手な考え方かもしれません。

あまり理解されないかと思いますが私の考えのままに、だらだらとお話ししたいと思います。

 

一応、念のために私の意見としては掃除をすることはとても重要なことです。

私は強くおすすめします。

 

よほどの理由がなければ掃除はできる限りの範囲内でも、ピンポイントを押さえつつやるべきです。

 

私たちは、時間、空間、物質が織り成す世界に生きています。

そして、この世界は個人の意識が基礎に在ります。

 

どのような意識を持っているのか、めちゃくちゃ重要なのです。

 

このことはたくさんの方々が発信されていると思います。

 

運気をあげる。

人生をよくしたい。

 

ならば、2つの攻め方があります。

 

それは、内側か、外側かなのです。

 

内側とは、いかに誠実であることができるのか、これはかなり難しく、時には、かなり時間がかかるかもしれません。

 

そもそも、誠実さとは何かということもよく理解ができていない場合もあるかもしれません。

 

外側とは、その1つとして掃除です。

 

自分の周りを矯正することによって、自らを変えていく方法です。

 

外側からの矯正は、時に試練のような、つまり、好転反応のようなことが起こります。

 

あなたに強制的な変化が起こります。

 

それを受け取る為の学びがあります。

 

強制的な方向転換が訪れる可能性があります。

 

途中で挫折することも考えられます。

 

結局は、巡りめぐって、結果、どのような意識を持って、いかに誠実であることが大切なのかを知ることになります。

誠実さとはとても重要なことなのです。

 

選択を迫られ、答えが欲しい時。

 

最も良い答えが欲しいのならば、相手、自分に可能性の選択肢を与え、覚悟ができるのかです。

そこには、誠実さが必要になります。

 

相手が居るのならば、相手の利益をいかに考えることができるのか、そこは、かなり、苦しみを味わうかもしれない、自身の選択になるのです。

 

それは、一方的に理不尽で、きつく、つらい、覚悟が必要な時もあります。

 

仏教では他利と言うのかもしれません。

 

また、それと同時に、如何に執着を手放すことができるのかと問われます。

これもまた、時には、理不尽的、試練、覚悟のような手放しになるのでしょう。

 

自分と相手を執着から解放する。

もっとも純粋で本質的な利益を考える。

 

悩み、苦しみの原因のほとんどの根底には、執着が在ると言っても過言ではないと考えます。

 

例えばいじめって何だと思いますか?

何が本質的原因だと考えますか?

 

多分に、執着だと考えています。

 

いじめた本人にもよく理解ができていない心情が

多いのではないかと考えています。

 

テレビドラマなどでよく見るいじめっこって、めちゃくちゃしつこくないですか?

 

そこまでするのか?

 

追いかけてまで嫌がらせしている印象があります。

 

放っておけばよいのにね。

 

執着が強すぎて、自分自身、止めることができないのでしょう。

 

だから、いじめの問題の解決はなかなか難しいことなのかもしれません。

 

執着とは、本能、欲望。

仏教では煩悩と表現していると思います。

 

また、一応、粘り強さと執着は別のことと考えています。

 

何でもかんでも手放せばよいとは考えていません。

 

掃除をすることは、空間を整えること。

 

自分に難しく、苦しい、選択を向かえることがあったとしても、整えられた空間は、私に道を指し示してくれる。

 

私にとって、一番の良い流れを呼び寄せてくれるはず。

 

空間は私の人生の味方になってくれるはず。

 

お釈迦様は、いかに誠実であることが大切かを知り、執着がいかに自分を縛り、苦しめ、執着によって大切な時間を無駄にすることになるのかを強く説いています。

 

お釈迦様は苦しみから少しでも離れる方法として、内側と外側からのアプローチを教えています。

 

お釈迦様の教えは、一つ一つがパズルのピースの様なものです。

 

一つ一つの教えは全てをつなげた時に、ちゃんとパズル、一つの絵になっているのです。

 

私は、ちゃんと説明できているのでしょうか?

 

このブログの始めに、自分にとってのより良い人生の選択をする為には、「3つの事と一つのこと」が在るが、それはあくまでもスタートなのだということについてお話ししました。

※あくまでも、私の経験から得た、個人的な見解です。

 

その内容は、①掃除(捨活)、②方位学(空間の仕組み)、③食事(体の管理)、そして一番に重要になってくるのは、誠実さであるということ。

 

自分の可能性の広げ方は、一人一人、たくさん在るはずです、自分にとってより良い人生とは、今の自分の枠を越えた所に在るかもしれません。

 

それを見つける方法は、以外なやり方、方法、進め方に在るのかもしれません。

 

私たちの可能性は、無限に存在しているはずです。

 

私たちの生きる、この世界は、時間、空間、物質が密接不可分の関係によって成り立っています。

 

私たちの生きる世界には、この世界なりの法則や真理、が在るのでしょう。

 

あまり考え過ぎることは、時に良くないこともあるかもしれません。

自分の思いのままに人生を疑う事なく進められている方はそのままで良いと思います。

 

ただ、自分の方向性や可能性、人生に行き止まりの様な思いの在る方は一つの見解として受け取ってもらえると嬉しく思います。