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自分の人生を振り返ってみて感じたことや考えたことをアウトプットしてみました。

空間の束縛と出家をすることの意味。

経典の中で、お釈迦様の時代は悟りを得るためには出家はかなり重要だったように思えます。

それは、在家者が悟りを得るエピソードがあまりにも少なく、在家の悟りは難しいという印象があるからです。

経典には「葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように在家のしるしを棄て去って在家の束縛を断ちきって健き人は独り歩め」とあります。

在家のしるしとは、生い茂る葉の様な煩悩の盛り


お釈迦様は苦行をすて悟りを得たはずなのに、なぜ悟りには出家が必要なのかがずっと疑問でした。


そして、私は掃除や方位学や風水、空間の関係を知った時に、何となくですが、出家の必要性を理解出来た気がしました。


家の存在は、私たちの日常そのものです。

家は空間であり、私たちを縛る編み目、点の様なものではないでしょうか?

空間、時間、物質は密接不可分です。

一つの点(空間)に縛られることは、ある種の停滞の状態に居るのかもしれません。

日々の中で一喜一憂しては、戻る場所は同じの繰り返しは空間(点)に縛られて、自分を固定している状態。


空間に縛られない状態は、水面にゆっくりと浮かんで居る。
ただ自分が居るだけの状態で、無駄に他(物質、空間)の影響を受けることを最小限に抑えて、最大限に自分に集中できる状態を整える。

悟りを得るためには出家をして空間に縛らないことは必要な環境を作ることだったと考えます。


しかし、私たちは末法という、「お釈迦様の教え」は知ることができますが、正しく悟りを開くことができないという世の中を生きています。

※正しい悟りとは、苦しみの六道輪廻の枠から外れることです。

このような末法の時代に生まれた私たちが正しく悟りを得ることが出来る方法は、「他力本願」という阿弥陀仏大慈悲にすがり、来世に「阿弥陀仏仏国土である西方浄土に生まれたい」と心から願うしか方法がありません。


私たちは阿弥陀仏の慈悲を正しく信じて、命終わりの時まで、この苦しみの多い物質の世界を生きて行かなければいけません。


私はこの苦しみの多い世界を生きるためには、自分の居る空間の環境と心身をを整えることが重要だと考えています。