仏教。正法、像法、末法、滅法
お釈迦様の入滅後にお釈迦様の教えが時代とともにどのような状態に至るのかという考えです。
諸説ありますが、お釈迦様が入滅(亡くなる)の後に約500年は正法といい、お釈迦様の教え、修行の行いが正しく行われて悟りに至ることができると云います。
そこから像法の世に入ると約千年の間には教え、修行の行いは正法の時代と変わらずに正しく行われているが、悟ることができないと云われています。
さらに、末法の世に入るとお釈迦様の教えだけが残り、像法に続いて悟りを得ることができない末法の時代が約一万年続いた後に、お釈迦様の教えが全て消えてしまうという滅法の世に入るそうです。
残念ながら、像法の時代より、私たちはお釈迦様の時代のようには悟りを得ることができないということです。
お釈迦様はその理由の一つとして、様々な煩悩(執着)によって、さまざまな種々のよごれに染まることが原因とあり、末法の世の中に入ると、悪人が海の砂の数ほどに増えて、善人は少なく数えるほどになると云われています。
私たちは物質的には豊かになり、私たちの周りには、たくさんの欲望が溢れています。
美味しい食べ物や、自分を着飾り、もっと、もっと、と過剰に執着して、それを得たいがために私利私欲の煩悩に溺れて目の前の事でいっぱいになる。
そして、私たちの能力の変化も原因の一つにあるのではないかと考えています。
いろいろな悪影響を心や身体に受けることで能力の退化や衰退など劣化が起こり、真実を見極めて、知ることが出来なくなることにより、物質的な幸せこそが安心だと勘違いして執着を生み出し、安心を求めたつもりが苦しみにしがみつく状態を繰り返すことになった。
お釈迦様という存在があのタイミングにあの時代に現れたことの理由は、悟りを得ることができない時代へと突入する準備として、宇宙(真理)からの大きな慈悲の働きだった。
お釈迦様はこのような時代に向けての教えをちゃんと残しています。
その教えの主となるのが浄土三部経(じょうどさんぶきょう)
『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の3仏教経典です。
無量寿経では、お釈迦様がこの世に現れた意味は、
「大きな真理の働きとして阿弥陀仏の大慈悲」の存在を伝えることだと説かれています。
無量寿経の最後には、
当来の世、経道、滅尽するとも、われ慈悲、愛愍をもって、特にこの経を留め、止住すること百歳せん。それ、衆生ありて、この経に値(あ)う者、意(こころ)の願うところに随って、みな、得度すべし。
いずれは、私の説いた数々の教えは無くなるが、この大きな真理の働きの教えを説いた無量寿経だけは滅法の世の中にあっても無くなることはない。
この教えに出合い真理を知ることは幸せだ。
テクノロジーの進化とともに人の生活や在り方が変わっていくとしても、人としての存在や心の在り方はこれから先も変わらない。
そして、宇宙の真理は永遠に不滅であると思われます。
末法に生きる私たちは、お釈迦様が廻し向けて下さった慈悲を頼りに、お釈迦様が残してくれた教えを知ることが安心に至る道の進め方と考えます。