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自分の人生を振り返ってみて感じたことや考えたことをアウトプットしてみました。

人生を整える掃除。 掃除の内容

人生を整える掃除

人生を整えるためにどこを掃除するとよいのか内容を書いてみました。


毎日、掃除はしているけどしっくりこない方は参考にしてみて下さい。


まずは最初に、整理整頓は、掃除とは別と考えています。

整理整頓された空間は確かに良い印象は感じますが、残念ながら、掃除を怠った空間での整理整頓は空間に光(力強さ)がありません。

空間の汚れを取り除く掃除が土台となって、整理整頓は活かされます。

「掃除はどこまでいっても誤魔化すことはできない。」と考えています。


どこを掃除するの?

人生を整える掃除の前に、ゆっくりでいいので、出来るだけ家中の要らない物を処分して下さい。
捨て活をして下さい。


不要なものを処分することで毎日の掃除が楽になり、維持しやすくなります。
何より、掃除との相乗効果も期待できます。



◎水場
キッチンやお風呂場、トイレ
排水溝

水回りは物をあれこれ置きすぎないほうが、カビなどの掃除がしやすくなります。

私のキッチンのシンクには食器スポンジと洗剤だけで、受け皿はありません。


◎床
フローリング、畳、玄関の土間など

畳は専用の拭き掃除シートなどがあります。そして、出来れば畳を起こして畳の下に埃があれば除いて下さい。


◎家中の天井や壁
リビングや水場、家中の天井や壁も拭き掃除をして下さい。

※天井や壁などは、高さがあり掃除をするには危険があります。どうか注意して、ご自身の責任と工夫で出来る範囲内で掃除をしてみて下さい。


◎カーテンやのれん、センターラグ、カバー類

私は出来るだけ洗濯が出来るものを選ぶようにしています。


◎家中の埃やカビ

水場のカビ、家具の裏にたまった埃

◎玄関の扉

掃除とは、あらゆる汚れ(穢れ)を取り除く、掃き除く行為です。


掃除をすることで、人生にどのような変化が起こるかは分かりません。

掃除をしたから人生が変わるのではありません。

あなたの意識が人生の選択をして、あなたの行為、行動があなたの人生を決めて行きます。

掃除をすることがあなたの意識を変えた。

あなたの意識が変わったことで、あなたの見る世界が変わる。


※ご参考までに、私の経験ですが、掃除を意識して始めると136の時に何かしらの変化を感じやすいと思います。

1週間、3週間、6週間たった頃とか1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月たった頃に変化を感じる、好転反応のような物事が起きることがありました。

なので、人によってはきついと感じる可能性も考えられます。
掃除をすることによっての好転反応が心配な方はゆっくり休み、休み様子をみながら掃除をして下さい。


好転反応について心配される方がいらっしゃるかと思いますが、私の経験では、空間をきちんと整えることができたならば、あまり大きく心配する必要はないと思います。

自分にとっての良い選択がしたいなら、是非とも自分自身と空間を整えてみて下さい。

あなたの世界があなたらしく変わる瞬間を楽しんでほしい。

大丈夫です。自分の可能性はいくつもあります。

掃除は次元を上げる。

掃除をすると空間の次元が上がり、そこに在るものの次元も上がります。

神社仏閣の清浄な雰囲気は掃除にあります。

清浄な空間はそこに在るものの次元を引っ張り上げます。

そこに在るものとは物質である私たちです。


清浄な空間とは光が溢れている、光とはエネルギーです。

エネルギーの溢れる空間には、必ず光が溢れています。


埃まみれの汚れた床をきちんと磨くと光って見えます。

あらゆる汚れを取り除いた空間は明るく見えます。

さらにそこに太陽の光が降り注ぐ空間は最強だと感じます。


自分の次元を上げたいと思ったならば、光が溢れる空間を意識して整え、よく自分と向き合うことが大切だと思います。

そして、自分自身も光が溢れていることを意識してみる。

掃除と同じようにお風呂に入って体を清浄に保つ。

清潔感のある人は光が溢れて感じるはずです。

そして、顔のツヤも大切です。


光が降り注ぐ、溢れるものはとは、イコール(=)エネルギーです。


次元が上がるとは、境涯が変わる、目線が変わる、目につくもの事が変わります。
今までに気付かずにいた点に気付くようになります。


それが、次元が上がる、変わったということと考えています。

すべての世界のもの事は宇宙の法則によってぐるぐると回っている。

私たちの目の前に広がる物質的な世界は、時間・空間・物質で成り立っています。

魂の世界はエネルギー
(魂は過去世から続く)

心の世界は自分を中心に執着する思考

物質の世界は魂と心の世界が反映されて、物質的なもの事として私たちの目の前に現れ、世界は広がる

私たちの目の前にある世界は、魂と心が複雑に絡み合い結果として物質的なもの事として現れます。

それは、原因と結果という形でぐるぐると回っている、または、巡っている、循環している。
それを森羅万象といっている、そのような関係と形でもの事はぐるぐると回っている。

魂がこの世界に形を持って現れる。やがて形は朽ち果てて魂は原因によって次の形に行き着く、これが六道の世界をぐるぐる回る輪廻転生です。


物質的な世界のもの事は偶然も奇跡も全ては何かしらの原因の結果として現れる。

奇跡や良い偶然はスピリチュアル的に言えば善因の行いの宇宙貯金?の定期満了の払い戻しのような事が起きたのではないでしょうか?



仏教には、廻向(えこう)と布施(ふせ)という教えがあります。

廻向は自分の功徳や善根(ぜんこん)を他に廻し向けるという意味であり、自分自身の善因善果につながります。


布施は真心を廻し向ける行為ですが、あなたが施す相手にとって善因善果になるような布施をすることが大切だと仏教では説かれます。

仏教においても、やはり、もの事はぐるぐると回って循環していくものと感じます。


この宇宙全体の世界ではエネルギーが循環していて、ある時に原因があってエネルギーは形となり物質的なもの事として現れる。

この物質の世界に生きる自分自身に良いエネルギーの循環(流れ)を引き寄せることができた時に、私たちの目の前には、善因善果という良い偶然という奇跡が現れるはずです。

善因の行いをすることは奇跡や良い偶然を引き寄せるための方法だと言えます。


そして、この宇宙の循環の法則に従って、人それぞれの人生は原因があり結果として進んで行くということでしょう。

善因の行いとして、ゴミ拾いやボランティア活動、人に勇気や元気を与えることなどが思いつきます。

仏教。飲酒が間接的につくる罪。

仏教には在家者が守るべき5つの戒めがあります。


直接的に悪因をつくる行い
◎不殺生戒(ふせっしょうかい)、
◎不偸盗戒(ふちゅうとうかい)、
◎不邪婬戒(ふじゃいんかい)、
◎不妄語戒(ふもうごかい)、

間接的に悪因をつくる行い
◎不飲酒戒(ふおんじゅかい)の5つの五戒(ごかい)です。

この内の4つは、直接の悪因になる行いの戒めですが、残りの1つの不飲酒は、直接の悪因になる行いではなく間接的に悪因をつくる行いといわれています。

お釈迦様の弟子に日頃の行いも良く、人々に尊敬される品性品行に優れた人物です。
ある時に、その弟子は托鉢した食事の中にお酒と気付かずに食べてしまい酔った弟子は醜態を晒します。

お釈迦様はこのような様子を見て飲酒はどんなに日頃から品性品行に優れた者も醜態を晒して、悪因の原因をつくる行いであると説きました。

そして、飲酒によってどのような悪因がつくられていくか次のようなお話しがあります。


日頃から穏やかなある主人がいます。
主人は、お腹が空いて家の台所でつまみ食いをしますが、その味付けが濃く喉が渇いた主人は近くにあったお酒をお水と間違えて一気に飲み干します。

酒に酔った主人はまだお腹が空いています。
そこに隣から逃げてきた鶏をお腹が空いていたので盗み、殺して食べてしまいます。(殺生と偸盗です。)

さらに鶏の飼い主である隣の奥さんが怒って家の中に入ってくると、隣の奥さんをてごめにしてしまいます。(邪婬です。)

またさらに隣の奥さんの夫がそれを知って怒鳴り込んで来ましたが、罪をおかした主人は事実無根だと嘘をつきました。(妄語です。)


飲酒によって、人は理性を失い欲望を抑えることが出来ずに危険な醜態を晒して、悪因をつくる可能性が強くなるということです。

酒は飲んでも飲まれるなですね。

また、飲酒は体にとっても良くはありません。

適量なら酒は百薬の長 。とは聞きますが、お釈迦様は、料理に使う酒や薬膳酒だろうと、よほどのことが無いかぎり、お酒を口にすることは、良くないと説いています。

春分の日の特別な太陽の光を浴びよう。

春分の日に太陽は真東から真西に沈みます。

春分は陰と陽が等しく交わり、陰と陽のエネルギーの入れ替えが起こる日です。


私は太陽は私たちの生きる物質世界の象徴だと考えています。

そして、仏教の西方の極楽浄土、エジプトや古代文明の太陽信仰などの歴史を考えると、春分秋分の陰と陽が等しく交わる日は、魂の世界と物質の世界の交わりが起こる特別の時とも想像ができます。

太陽は春分の日を過ぎて夏至に向かって太陽の気は益々私たちへの影響が強くなっていきます。


私たちが生きる物質世界は、時間・空間・物質が密接不可分の関係で成り立ち、私たちは光でできています。


特別な時の太陽の光には私たちの想像を超える力があると思います。

春分はこれからの草花が芽吹いて成長していく季節の発展の始まりの象徴もあります。

この特別な春分の日の太陽の恩恵を受けるためにすること。


◎綺麗に部屋を断捨離、掃除して午前中の太陽の光、朝日を部屋にいれる。

◎午前中の太陽の光、朝日を浴びる。

◎夕方の西の太陽の光、夕陽を浴びる。出来れば日の入りをみる。


部屋に春分の日の太陽の光、朝日が入らない人は散歩などして朝日の光を浴びる。


春分の日だけではなく、出来るだけ春分の日の前後1週間は、太陽の光を意識して浴びる。


私は、初日の出よりも、春分の日の日の出のほうが、発展的な力があるように感じます。

このブログについて。この物質世界をより良く生きて行きたい。

情報の多い今の世の中で幸せになるための方法の情報がたくさん発信されています。

迷いのなかにいた私は仏教に出会ったことで、これまでの自分の人生に一応の納得をすることができました。


私は、空間を整える方法の1つとして、方位学などについての占いに興味があります。


仏教では占いに頼ることは、よくないことだといいます。
それは、もの事の真理から離れて、本質を見失う可能性があるからだと私は解釈をしています。


私たちの生きる今は、末法といわれる さまざまな穢れのために、仏教の教えがあっても、自分の力だけでは正しく真理を悟ることができないという時代に生きているそうです。


仏教の教えには、末法に生きる私たちがより良い人生を生きていく方法も詳しく説かれています。

しかし、私たちの目の前に広がるこの物質の世界を生きることは、あまりにも苦しみが多いために、私たちは苦しみの真理から目を背けてしまい、ただの物質的な幸せだけを求めるという誤った結果になってしまう可能性があります。

精神論だけでは辛い。
多少の物質的な安定が無いと今の世の中は生きて行けません。


そこで、私は仏教の教えを基本に今を出来るだけより良く生きるために、人生において何が大切だろうかと考えをまとめてみました。


掃除、捨て活(断捨離)などで、自分を置く空間の環境を整えること。


食事や、誠実さを心がけて、心身の安定を整えること。

これらについては、仏教ではいろいろな教えがあります。

私はそこに方位学という占いを加えて、より良く生きるために必要な「人生においての基本」として、3つと1つの事柄にまとめて、いくつかの記事にしています。

占いに頼ることはよくないのですが、仏教の中道という教えを知れば、真理から離れることはないはずです。

この世界はすべてが物質によって広がる世界です。
そして、今の世の中は常にもの事や物質に縛られていて、何も持たずに自然に生きていくことができない苦しい世界になりました。


個人差はありますが、掃除や捨て活(断捨離)そして方位学などで、自分の環境を整えることで日常の生活を安定させることができると考えました。

日常が安定することで、仏教の説く教え「真実の安心の追求」を考える余裕ができると考えています。

最終的に目指す、魂(心)の目線で生きるためには、まずは、物質的な世界を知り通過しないといけない。


私は、仏教の教えを基本にした、末法の時代なりの生き方があっても良いのではないかと思っています。

今、現在の私が出した1つのまとめです。


人生を生きるためには柔軟な考え方は必要です。

これから先には、方位学などの占いを取り入れた、この考え方は間違いだったと考えが変わる可能性はあります。

しかし、これから先も私のもの事に対しての本質的な考え方の基本は、仏教の教えにあります。


私のこれまでに感じたことの一部分でも興味を持ってもらえると嬉しく思います。

仏教。六道輪廻、輪廻転生。

仏教の教えには、六道界という六つの世界を私たちは生まれ変わり死に変わりぐるぐると巡り転生していると云います。

そして、正しく悟りを得ることで、六道輪廻の枠から外れることができ、菩薩や仏への四聖という世界に生まれ変わることができると云われています。

六道界とは、どのような世界なのでしょうか。

地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天

地獄の世界は殺生、嘘、盗み、邪婬、飲酒の五戒の行いによって、罪の重さにより8つの層に分かれた地獄へと自ら落ちて行くそうです。

八大地獄、又は八大奈落と云います。
(はちだいじごく、ならく)

約2千年の間まっ逆さまに落ち続けたところの一番深い底にある、五逆などの最大の罪を犯した者が行く、最も苦しみの激しい地獄を無間(むげん)、または、阿鼻(あび)地獄といいます。


餓鬼の世界は嫉妬深かったり、物質的な執着、者惜しみ、貪りが強い者が堕ちる世界と云われています。

不浄な環境に住み、常に水や食物を欲するが、飲み食いしようとするとその水や食物は不浄なものや炎と化して得ることが出来ずに常に餓えと渇きに苦しみます。

原語のpretaプレタは死せる者や鬼とも訳される。
鬼は中国で死者の霊、亡霊を意味しており、日本で云う幽霊の世界だと考えます。

畜生の世界は愚痴が多く、悪行に反省することがない、他の生き物への慈しみがなく本能むき出しの無分別なものが生まれ変わる世界と云います。

畜生は人間以外の鳥や獣、虫、魚などの世界です。

この世界は弱肉強食という互いに殺し合いをすることで生きており、いつ襲われるかわからない不安と恐怖が常に付きまといます。


地獄、餓鬼、畜生は三悪趣(さんあくしゅ)といい、仏教において、悪行を重ねた人間が死後に「趣く」といわれる世界です。


修羅の世界は猜疑心が強く、思い通りにならないことに常に怒り、自惚れが強いものが阿修羅となって生まれ変わる世界と云われています。

元々は阿修羅は天に住んでいた好戦的な天人で、仏教においては守護神でもあります。

常に欲望を抑えられずに怒りに身を任せていて、争い続けます。
この世界は、天の世界と地獄の世界につながります。


人間の世界に生まれ変わることは、「地獄に堕ちるものは全世界の砂のように多いが、人間に生まれるものは、爪の上の砂のように少ない。」このように、人間に生まれることはとても難しいと仏教では説かれています。

人間界は、様々な苦楽を経験をすることで、菩提心(ぼだいしん)という真の幸せや安寧という、仏の悟りを求めて、この苦しい六道の輪廻転生の枠から逃れることができる六道界においては唯一の世界です。

そして、再び人間として生まれ変わるためには五戒十善という厳しい戒律を守らなければいけないそうです。


天の世界は、神様と呼ばれる存在、または、高次元の存在が住んでいる世界と考えます。

天界には種類があり、悟りを得た菩薩が生まれ変わって修行をする天界もあります。

天界は楽しみの多い満たされた世界なので、なかなか仏の教えを求めことができないと云われています。

楽しみの多い世界ですが、老化など寿命が近づくと五衰という地獄の数十倍という苦しみを受けて寿命を終えます。

天界といっても六道の世界です。
天界で寿命を終えて、次に生まれ変わる世界は人間界よりも下の世界に生まれ変わるそうです。


このように、六道界は苦しみが多い世界です。


仏教では、この六道界の輪廻転生の枠から外れることが出来ると、次は菩薩として生まれ変わり、苦しむ衆生のために再び人間界に転生をする者がいるといいます。