雑文。冥王星水瓶座。スピリチュアル?。
今、占星術の考える時代の流れ方の1つですが、風の時代と言われています。
次元上昇などスピリチュアル的な物事の開放というテーマをよく聞きます。
さらに、2023年には更なるスピリチュアルの本番的?な開放があるとされています。
それはどういうことなのでしょうか?
あくまでも私の個人的な見解ですのでご了承下さい。
占星術によるとこれからの時代の流れには、約二千年続くアクエリアス(水瓶座)の時代。約二百年続く風の時代。約二十年続く水瓶座冥王星の時代。
水瓶座とエレメント風のテーマを強く受ける流れが来ているそうです。
また、水瓶座はエレメント風の性質に分類される星座の1つです。
2023年からは冥王星が水瓶座に移動することが更なる水瓶座のテーマにフォーカスされます。
冥王星は破壊と再構築の星と言われていて、先の山羊座入りには山羊座のテーマである、社会や組織などの在り方が大きく変化しました。
参考として、先の二百数十年前頃に水瓶座に冥王星が入っていた時には啓蒙思想が盛んで、アメリカの独立宣言や奴隷輸入禁止など、人の尊厳の解放がありました。
水瓶座のテーマは博愛や革新、自立など、物事の本質を深く考えたり、精神的な解放を求めます。
また科学技術の進歩などもあります。
この頃はエレメントの火の時代で、起こる物事は少し過激な印象があります。
今回の冥王星の水瓶座入りは、風の時代の影響を受ける形で水瓶座のテーマがフォーカスされ、さらに、水瓶座の性質は風なので、より強く水瓶座のテーマに冥王星が影響を与えることが予想されます。
エレメントの風のテーマは情報、コミュニケーション、思考、
水瓶座のテーマは、多様性を認めての平等や公平、博愛主義、自立、深い考察、科学技術の飛躍的進歩、
深い意識への考察の始まりがスピリチュアルへの関心を高めていくのではないかなって思います。
意識こそが全てだというちょっと危険な思考になるかもしれない。
この世界は物質で成り立つこと、体(物質)あっての世界であることを再確認することが重要になってくると思います。
健康な体が在るから思い切り思考することができるのだから、自分をバランス良く整えることはやはりどのような時代になっても大切だと考えます。
冥王星の水瓶座入りによって、個人(自分や他人)の尊厳、自立(自分軸)など、より深く個人を尊重する、個人を保護する、人権問題とか。
人の在り方、関わり方が大きく変わっていくのではないでしょうか?
マウンティング、ヒエラルキー、他人と比べることで得る幸せ、このような意識が極端に減ることが出来れば、きっと世界中のあらゆる争い事は少なくなっていくかもしれない。
雑文。風の時代。水瓶座の時代。
風の時代。水瓶座の時代。 次元上昇。二極化。自分軸。高次元。スピリチュアルの開放。など様々なワードをよく聞きます。
風の時代、水瓶座の時代とは占星術による時代の流れをみる考えです。
あくまでも私の勝手な個人的見解も入っています。
占星術を専門的に理解している訳でもありません。
ということをご了承下さいませ。
まずは、3つのポイントがあります。
①のポイント
風の時代とは、グレートコンジャクション(木星、土星の合)が水瓶座、双子座、天秤座の風のエレメントを持つ星座でおこること言い、約200年位続きます。
2020年12月22日の水瓶座グレートコンジャクションから風の時代は始まったと言われています。
風の時代の前は、地の時代でした。
②のポイント
水瓶座の時代とは、12星座でそれぞれ約2千年の時間を約2万4千年で一巡するという時代の流れ方の考え方です。 西暦2000年頃に水瓶座の時代に移行したと言われています。
③のポイント
12星座を一巡してそれぞれの星座に約20年程滞在する冥王星という星の動きです。
今現在は山羊座の位置にあり、2023年3月頃から水瓶座と山羊座の間を往来しつつ約1年をかけて完全に水瓶座の位置に入ります。
お気付きでしょうか?
特にこれからの20年はかなり強く水瓶座(風)の影響を受ける流れになっています。
簡単に水瓶座とエレメント風のテーマを説明します。
エレメント風は知性、情報、伝達、公平などの意味があります。
水瓶座のテーマは多様性を認めての公平や平等、博愛、利他、合理的、という広い視野と思考よる知性です。
風、水瓶座と共に個人の尊厳、在り方、自立ということがテーマにあります。
時代の移り際は、波際の様になっていて、1981年?頃から風の時代の影響を受けて、時代は携帯電話の普及に始まり、伝達、情報、さらに2千年間におよぶ水瓶座時代が始まったと言われる西暦2000年頃にSNSが興りました。
冥王星とは簡単に説明をしますとクラッシュ&ビルドです。
破壊と再生構築する星と言われています。
山羊座のテーマは社会、組織、などです。
リーマンショックや大企業の破綻がありました。
世界の社会の仕組みが大きく変化したところは記憶に新しいと思います。
これから冥王星が水瓶座のテーマに深く影響することは間違いありません。
個人の尊厳、自立。
私たちはSNSの普及によって、個人が情報を発信することができるようになり、弱い立場の声なき声が聞こえる時代になりました。
世界に呼びかけるSDGsの多様性による公平、個人の尊厳。
これからは正に水瓶座のテーマそのもです。
これからの時代は自分軸をしっかりと持つこと、個人(自分や他人)を尊重することが重要になってくると考えます。
個人を尊重し、公平、平等を求め得ることによって、多少の長い先ではあると思いますが、弱肉強食、格差が生まれる仕組みである資本主義はいづれは崩壊していくことになることは想像できます。
今、私たちは占星術にせよ、とにかく、大きな時代の流れの節目、過渡期に生きていることは確かなようです。
これからの先の未来には技術的進歩によって、私たち、そして子孫の生活は変わっていくでしょうが、人として生きて行く本質は何も変わりません。
自分自身を整えることはどのような時代でも基本であると考えています。
超雑文。ポジティブって何だろう?
宿命と運命。人生の仕組み。
私の考える宿命と運命。
人生の仕組み。
宿命と運命には両方に命があります。
命とは、命が在る物質。
命とは、過去久遠の間に輪廻転生する魂。
宿命は自分の魂の経歴を元に在る物質の所在?
変えることのできない生まれ持った事実と資質。
生年月日や両親など。
運命とは、それぞれの宿命の元に生まれ、命を持った物質が人生の中のどこかの場所、時間と空間にその命を運んで行く、運ばれていくこと。
つまり運命とは、宿命を背負いながら、その命在る物質に似合った時間、空間に運ばれていく、運んで行くということです。
成功したと思われる方のほとんどの方がおっしゃるのは、自分よりも才能や能力のある人はたくさんいました、ただ私は運が良かっただけだったとはよく聞く話しです。
もちろん、苦労や努力も惜しまなかったと想像します。
しかし、努力だけでは成就されないことがあるのも事実です。
何が正解で不正解なのかは人生の過程においてはありません。
人生は行動(選択)の連続で成り立つんのだと改めて考えます。
命の数だけ選択があり、自分にとっての最良の選択とは何かを私たちはできるはずです。
自分にとっての安寧は自分自身で見つけていくしかありません。
幸いにも私たちの先人はたくさんの方法を模索して残してくれました。
また、たくさんの方々の経験されたお話しがあります。
あなたにとっての方法や答えを知りたいという気持ちはきっとあなたの答えに導くはずです。
自分自身の在り方を追求することができるのは、やはり人として生まれた強みなのではないでしょうか?
仏教では、人生の真理とは苦しみであると説かれました。
しかし、お釈迦様は、私たちには安寧、幸せを求め得ることは使命であり、権利であるということを同時に強く説かれています。
どのような流れがあったとしても、決して忘れてはいけません。
私たちの歩む先は、安寧と祝福しかありません。
私も自分にとっての最良の在り方を追求して行けたらよいと思います。
自分を整えながら、次の展開に進む
雑文。掃除が苦手な方へ
掃除をして空間をキレイに維持することは、簡単なようで、難しいことです。
掃除が苦手だつたり、忙しくて、キレイな空間を維持する事ができないということもあります。
私自身、維持することが出来ないことも度々あります。
出来る範囲内で掃除をする事を意識する。
ちょっとだけ、ちょっぴりずつ毎日、掃除することも維持することに、つながります。
まずは、自分のペースで掃除をする事がよいかもしれません。
まずは、捨て活をして、不要なものを捨てることで、掃除が楽になります。
人によりますが、捨て活は時間がかかる場合があります。
私の場合は、ちょこちょこ捨て活をして半年程かかりました。
しかし、人生の転機や難しい選択をする事がある場合は、やはり、徹底的に掃除をして空間をキレイにする事はおすすめです。
今、掃除が重要と感じていないのならば、それでもよいと思います。
掃除をする事には何かしら意味があるのかもぐらいの意識をしてください。
必要な時には、必ず人は動くようになっているはずです。
人の数だけ人生の進め方があります。
雑文。自分軸って何だろう?
自分軸って何だろう?
ぶれない自分、ありのままの自分で、自分らしく生きる。?
こんな感じかなと、自分軸に対して私の勝手な印象があります。
違う見方をすると、頑固で自分の利権に固執していると考えることもできませんか?
安易に自分軸を目指すことって、人によっては危険ではないんだだろうか?
仏教では、基本的に人は自分自身に深く執着していて、
起きている時も寝ている時もどのような時も無条件に、無意識に己に執着して、煩悩(欲)と共に生きている。と、説きます。(末那識まなしき)
お釈迦様は、人々に全ての煩悩(欲)を捨て去りなさいとは仰っていません。
多少の煩悩(欲)は必要だが、
必要以上の煩悩による執着は手放しなさいと教えます。
人は自分を正義だと思うのです。
私は自分の勝手な正義で生きていると感じることがあります。
私は何をもって正義と考えているんだろうか?
自分の行いには権利があると、自分は許されると人は考えるのです。
極端に言えば、自分が加害者だという意識がない。
むしろ自分は被害者だと主張するのです。
私は人の持つ正義が怖くなります。
安易に自分軸を目指すことに疑問を感じてしまいます。
仏教には悟りの一つとして、「中道」の教えがあります。
「中道」とは、偏りのない視点、平等であり平等でない、ありのままを理解するという、やはり深い意識をもってしか理解できない教えです。
深い意識は人生の経験や生まれ変わりして魂の成長を通して得るものではないかと考えています。
いろいろと考え過ぎかもしれませんが、自分軸で生きるということは、他人の悪意に振り回されることからできる限り離れ、自分自身の在り方を考える。
自分の望み通りの選択が正解ではないこともあります。
しかし、どんな人も唯一無二の存在であり、自分の可能性や自分にとっての最良の選択は必ずあるはずです。
仏教には、たくさんの道徳的な教えがあります。
お釈迦様は、煩悩と共に生きている私たちに、余計な寄り道をせず、貴重な人として生きる時間を無駄にする事なく精進せよと仰っているのではないでしょうか。
仏教では、この世の真理を知りたいならば、知識より情であると説いています。
お釈迦様の教えは宇宙の真理であり、大慈悲の表れだと感じます。
私は煩悩(欲望)まみれの人間です。
私はたくさんの人生の寄り道をしてきました。
全てが無駄だったとは思わないけれど、もしかしたら違う人生があったのかなと少しだけ思うこともある。
でも、どう考えても私の人生は、私にとっては正解なんだよね。
私は苦しみとは何かと考えるより、苦しみと向き合うノウハウを知りたい。
人生においての苦しみや葛藤、疑問点については、たくさん具体的にいろいろと考えて来ました、そして、もしかしたら誰かの何かの問う答えが、私の人生の中にあるかも知れないと思い、文字に起こしてみることをしたのが、このブログです。
多分、その誰かは、1人の方だけかもしれませんし、そもそも誰もいないかもしれません。
私はそれで良いと考えています。
迷いがあるのならば、答えが欲しいのならば、自分を整えてみる選択も有りかもしれません。